考えよう。答はある。

試される大地にて

益田ミリさんとヘッドスパ

土曜日。

10月の札幌はもうかなり寒いけど、

外は秋晴れ、歩いているだけで気持ちいい。

近くのカフェに入って、

大好きな益田ミリさんの『お茶の時間』を読んだ。

 

クスリと笑ったり、「こんなこと、あるある~」と心の中で呟きながら一気に読み終え、

元気をもらった私は

 

次は身体から癒されようとヘッドスパへ。

今週は仕事で大変な案件と戦ったから、自分にご褒美だ~。

 

 

はじめてのヘッドスパ

「ドライヘッドスパ」というコース。

オイルなどを使わずに頭皮マッサージをしてくれるというものなので

 

ヘッドスパと言われてイメージするシャンプー台ではなくて

背もたれの倒れる大きな一人用ソファに座る。

 

横になってマッサージを受けていると、

お腹が鳴り始めてしまった。

それも一回ではなく、5~6回。

落ち着くまでに、結構かかった。

こんなとき、益田ミリさんならどうマンガにするのだろう…

そんなことを考えながら気持ちの良い眠りについた。

 

 

最後に肩をマッサージされながら、

益田ミリさんのことを考えていた。

日常のちょっとしたことを、読んだ人にじんわり幸せが広がるような書き方で表現できるって素敵だなあ。私もイラスト描けるように練習しようかな?

ぼーっとそんなことを一点を見つめながら考えていると

担当のお姉さんに「大丈夫ですか」と言われてしまった。

心配されてしまったかもしれない。

 

大丈夫、頭の中はお花畑です。

 

 

 

 

割り切れないこと

自分で決めてないことはやっぱり割り切れないよね。

 

私の場合は、東京にいられないこと。

 

私にとって東京は、近いけれどやっぱり遠い。

いくら飛行機で1時間強だといっても飛行機なので、空港までの往復もあるし、お金もかかるし、いくらスマホひとつで簡単に搭乗手続きができる時代とはいえ、なかなか急にとか気軽にとか行けるものではない。

 

 

東京に友達がいると、当然のことながら東京に行く機会が増える。

いま私が主張したいのは、友達がこちらに来てくれるより自分が向こうに会いに行くほうが圧倒的に多いということだ。

ま、こちらのほうが中心から離れているのだから仕方がない。大勢で会うときはそりゃ待ち合わせは東京の中心部になるし、東京は大勢でこちらは一人なんだからこちらが行くのは当たり前。普通に考えればわかる。自分だって逆の立場ならそう思う。

 

でもこういう「当たり前」のことが、いま割りきれない。

なんで私ばっかり…って思う。感情的になって、子どもみたいに駄々をこねたくなってしまう。

それは何故かって言ったら、やっぱり自分で決めたことではないから。

頭ではわかっていても心で納得できていないから、どうしても反発してしまう。

この「ねじれ状態」、結構苦しい。

(そんな中ではるばる会いに来てくれる一部の友人にはただ感謝しかない。。!)

 

 

 

入社を決めるとき、もちろん札幌にオフィスがあるのは知っていたし、転勤の可能性があるのもわかっていたけど、

実際にそれを告げられたときにはほんとに心臓と呼吸と思考が止まった。。

そういう会社を選んだ自分の責任だと言われればそれまでなんだけど、口頭レベルでは東京勤務だよ~と言われていたし、会社の方針が変わるのもわかるけど、こんなに大きなことなのにこちらには断る術がなくて、

なんて一方的なのだと思うと未だに悔しい。

この悔しさとか東京へのコンプレックスとかを抱えながら、一年半過ごしてきた。

 

私にとって特別な東京という場所から自分の意志とは反して離れてしまった今、

この土地は物理的にも心理的にも「遠い」のだ。

 

 

このことで恋人とケンカした。

いつか東京に行きたいと思っているから、会えなくなるのが悲しい。

そう言ったら、「東京に行くくらいで会えなくなるって思うならやっていけない」って言われた。

そんな近いっけ?東京。 

「どこでもドアがほしい」って恋人に言ったら、「そんなのできるわけない」って呆れられた。

結局ここの価値観が合わなくて、大事な関係だったけれど手放すことになってしまった。

 

 

 

もう東京行くしかない。

なつやすみトーキョー

東京に来た。夏休みなので。 

 

会社でラジオをつけているんだけれども、

8月頭の「なっつーやすみは~やっぱり~みじかい~」がリクエストされる率は半端なかった。

 

お昼に外に出ればカンカン照りの太陽、蜃気楼が見えそうな熱気と青空。

…ザ・夏休み!

会社の周りのどんよりした住宅街にも夏休みがちゃんと来ていた。

 

庭のプールではしゃぐ子どもたちを横目に仕事をしていた私にもついに来た、お盆という名のオトナの夏休み。(かなりみじかい)

 

 

今は品川のワイアードカフェでキングタコライスコンボを食べています。

くそおしゃ(ほめてる)なことしてるけど、今住んでるところではなかなか味わえない。

東京らしいなって思う。

 

「おしゃれ」って薄っぺらく捉えられることもあるけど、素晴らしいことだと思う。おしゃれっていうか、スタイリッシュ、かな。

そういうものには「人の思い」が宿っている。

どうしたらより良くなるか。使う人の気分を癒やし、機能的にもすぐれたものになるか。そういうことが計算され尽くされている。ここの形にたどり着くまでに、あれやこれやと思いを巡らせて時には壁を乗り越えたりして神経を注いだ人がいるのだ。

広告の仕事をしたいと思ったのも、それぞれの表現には必ず誰かの意図や工夫が隠れているから。そういうものを知るのが、何より楽しかった。

無造作につくられたものや偶然できてしまったものより、きちんと考えてつくられたもののほうがキュンとする。

そういうわくわくするものが、東京には散りばめられている。

 

 

ないから、つくる

就職して、「地方」に飛ばされてしまった。 

 
 
社会人になるとともに北の大地・札幌に拠点を移して2年目。
ここはごはんもお酒もおいしいし独自の文化もあれば人も優しい、いいところ。
 
 
でも、東京へのコンプレックスもある。
 
 
 
地方配属になった友達はみんなわかると言ってくれるけど、
地元から東京の大学に出てそのまま就活、東京で就職できたと思ったら自分の意思とは反して縁もゆかりもなく友達も遊ぶ場所も少ない土地へ行くことになり、その空気にいまいち馴染めないままひとりやるせない時を過ごし、東京の友達との集まりになかなか参加できなければ参加したところで「いつ東京に帰って来れるの?」と上から目線(?)で言われ、その土地に順応しようと頑張っている自分を否定された気分になり、東京に帰れないのなら東京の友達に会っても辛いだけだ~とさらに塞ぎ込んで、でもやっぱり寂しいからと現地で恋人を作ってみたは良いものの、いつ離ればなれになるやも知れない未来を考えると目の前が真っ暗に…という絶望スパイラルにはまってしまうみたいなね。(私のこと)
 
全国各地で力強く生きている転勤族、単身赴任のお父さんたちを本当に尊敬。。
 
 
 
場所の問題には、
インターネットで解決できることと、できないことがある。
 
インターネット(とコンビニとイオンとアマゾン)はワンランク上の生活インフラとして地方格差を減らしてくれたと思うけど、
 
インターネットがあっても
どこでもドアがなきゃ「生の体験」ができない。
 
ひとつのテーブルを囲んで同じものを食べられないし、一緒に街を歩いてそのへんの看板にツッコミを入れて笑うこともできない。自分のいる業界の有名な人にも簡単に会えないし、大好きなバンドのライブや楽しいイベントにも行けない。。
 
「いつになったらどこでもドアはできるんだ!」と本気で考えていた2015年秋。瑛太主演のスペシャルドラマ『2030 かなたの家族』で描かれていた2030年の世界にすらどこでもドアは登場しなかったから、それよりまだまだ先か…くそ~。。
嘆いても北海道新幹線は函館までしか繋がらない。
 
 
 
でも。このままではいられない、何かしなければ~。!
 
私の友達だけでも数人は地方で頑張っている友達がいる。
まったく企業ってのはそちらの都合だけでまだまだ感受性の強い若者をひとり遠くに平気で追いやる怖い組織だぜ…ということで
私と同じようにもがいている人、たくさんいるはず。
 
 
 
自分には何ができるのかな~と考えていたら。
久しぶりに会った友達から、
アフリカの地で青年海外協力隊をやっている人の話を聞いた。
洋服がないから、商品が入っていた麻の袋を利用して自分たちで作るとか。ほかにも、海辺に流れ着いたギターらしきものに自分で糸を張って音が鳴るようにしたり。
「ないものは作っちゃうんだって~、生きてるって感じだよね」となった。
 
ここではっとした!
無いものは作ればいいんだ。
 
 
東京で「なんでもある」生活を経験してしまった私は、
この地に来て「あれもない、これもない」と思うことが度々あった。
その度に悲しくなって、東京への思いを募らせていた。
 
でも、その一方で、
いったん身の回りがリセットされたことで
自分にとってなくてはならないものは何か、考えることができた。
 
何にでも興味を持って手を出していた学生時代を経て、
いまは自分の周りにある大事にしたいものも、足りないものもわかる。
 
そしてその「足りないもの」が
全国で奮闘している若者たちも同じように求めていることなら。
 
 
 
とりあえず、全国各地で頑張っているみんなへ訪問して、相談していこ。
 
 
ふんわり、終わります。
明日も仕事だっ
 
 
🐰
 
 
 
 
 

『ヘーベルハウスのCM』

「考えよう。答はある。」
ある企業のCMで流れているコピー。
私にとって大切な座右の銘だ。




ブログを書こうと思い立ってはや数年。
自己啓発本を読めば読むほど
著者たちが「発信できるようになると人生変わる」と
あらゆる角度から訴えてくるので
「発信できる人」にずっと憧れをもっていた。


中学生から高校生までやっていた「モバスペ」。
前略プロフィールだとか相リンだとか流行っていた頃。
まだプリクラの脚が長くなったりしてなくて、
目がちょっと大きくなりかけたくらいの頃。

「りぁる」とか「相リンしょ~♪」とかは
高校生なりに恥ずかしくて言えなかったけど
好きな曲の歌詞をタイトルにしたりして
日々の思いの丈をブログらしきものに書いていた。



モバスペブームが去ってから
空白の5年間くらいをTwitterで過ごしていたけど
やっぱり足りない、
私にはブログが足りない。

Twitterにはおしゃれなカフェのラテアート載せたり(嘘)
リア充アピールしかしていないので(嘘)

ここではまたモバスペの頃みたいに
恥ずかしいことばっかり書いていこ~。






「ブログを書く」っていうと、
「まずテーマを決めよう」「好きなことをワンテーマで極めると読者がつく」ってなるけど

そんなこと考えてみても私に書けるブログが見つからなかった。
ラーメン巡りもしてないし
これだけは絶対負けない!ってものもない。

ブログやろう!と思うだけ思ってやらない、
ブログはハードル高いからとTwitterで新しいアカウントを作って更新しない、
はてなブログを立ち上げて、記事0件のまま放置。

でもずっとやりたい気持ちはあって。

今日読んだ本『可愛いままで年収1,000万』がついについについに後押ししてくれた。
自分の才能ってなんだとかはブログうんぬんじゃなくずっと考えてきたけど、
シンプルにそういう自分の得意なこと、自分にとって一番大事なことをブログに書いたらきっと楽しいんだな~と。




中学3年生のとき、高校受験の面接で
自分の長所を
「なんでも楽しめること」って答えた。

いまでも自分の才能は
「幸せに生きること」だと思っている。

だからここでは
自分を幸せにしてしてくれたものやことについて書きたいと思う。
そういう形にたどり着いた。



もっと早く始めたかったけど、
でも今日までブログ書かなくてよかった。
すぐ行動するのは大事だけど、
ピンとくるまで、イメージが固まるまで、あたためておくのも良いよね。

ゆとりですし。マイペースにいこう
(正当化の鬼)




ヘーベルハウス『考えよう。答はある。』
https://youtu.be/nBpZibQbmgw


▼『可愛いままで年収1,000万円』
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%AF%E6%84%9B%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%A7%E5%B9%B4%E5%8F%8E1000%E4%B8%87%E5%86%86-%E5%AE%AE%E6%9C%AC-%E4%BD%B3%E5%AE%9F/dp/4872907566



🐰