考えよう。答はある。

試される大地にて

割り切れないこと

自分で決めてないことはやっぱり割り切れないよね。

 

私の場合は、東京にいられないこと。

 

私にとって東京は、近いけれどやっぱり遠い。

いくら飛行機で1時間強だといっても飛行機なので、空港までの往復もあるし、お金もかかるし、いくらスマホひとつで簡単に搭乗手続きができる時代とはいえ、なかなか急にとか気軽にとか行けるものではない。

 

 

東京に友達がいると、当然のことながら東京に行く機会が増える。

いま私が主張したいのは、友達がこちらに来てくれるより自分が向こうに会いに行くほうが圧倒的に多いということだ。

ま、こちらのほうが中心から離れているのだから仕方がない。大勢で会うときはそりゃ待ち合わせは東京の中心部になるし、東京は大勢でこちらは一人なんだからこちらが行くのは当たり前。普通に考えればわかる。自分だって逆の立場ならそう思う。

 

でもこういう「当たり前」のことが、いま割りきれない。

なんで私ばっかり…って思う。感情的になって、子どもみたいに駄々をこねたくなってしまう。

それは何故かって言ったら、やっぱり自分で決めたことではないから。

頭ではわかっていても心で納得できていないから、どうしても反発してしまう。

この「ねじれ状態」、結構苦しい。

(そんな中ではるばる会いに来てくれる一部の友人にはただ感謝しかない。。!)

 

 

 

入社を決めるとき、もちろん札幌にオフィスがあるのは知っていたし、転勤の可能性があるのもわかっていたけど、

実際にそれを告げられたときにはほんとに心臓と呼吸と思考が止まった。。

そういう会社を選んだ自分の責任だと言われればそれまでなんだけど、口頭レベルでは東京勤務だよ~と言われていたし、会社の方針が変わるのもわかるけど、こんなに大きなことなのにこちらには断る術がなくて、

なんて一方的なのだと思うと未だに悔しい。

この悔しさとか東京へのコンプレックスとかを抱えながら、一年半過ごしてきた。

 

私にとって特別な東京という場所から自分の意志とは反して離れてしまった今、

この土地は物理的にも心理的にも「遠い」のだ。

 

 

このことで恋人とケンカした。

いつか東京に行きたいと思っているから、会えなくなるのが悲しい。

そう言ったら、「東京に行くくらいで会えなくなるって思うならやっていけない」って言われた。

そんな近いっけ?東京。 

「どこでもドアがほしい」って恋人に言ったら、「そんなのできるわけない」って呆れられた。

結局ここの価値観が合わなくて、大事な関係だったけれど手放すことになってしまった。

 

 

 

もう東京行くしかない。